誰も知らないからこその言葉。
「蜜約」
馥郁たるその馨
誰しもが愛でるその彩
気品に満ち溢れたその姿態
そして
隠された棘
ライトが暗闇を裂いて突き抜ける。真っ直ぐに伸びた国道。
歩道橋の上から地面を見下ろせば、テールランプが流れる夜の河を観察することが出来る。
赤と黄色。時折、青や緑、そして白光。街灯が古くなっているのか、ちかちかと煩く点滅する。
特に何をするでもなく、少女は橋の手摺に凭れていた。額の下で揃えられた前髪が揺れる。下界からの風。
気配に気付き階段の方へ視線を向ければ、最近どこかで見たことのある顔があった。
懲りない連中。
裏で糸を引いているだろう、嘗て「親友」などと呼ばれ肩を組まされた女の顔が思い浮かぶ。馬鹿?
今ここに「味方」はいない。違うわね、と彼女は思い直した。
「盾」がいないのだわ。
もっとも、だからといって怯える必要など一欠片もないのだが。
一番必要な武器は「此処」にある。
少女は笑った。相手が見惚れるのをよくよく理解した上で。
軽やかに繁華街を歩きながら、彼女は先の情景を思い出し、唇だけで微笑む。
なんて面白いのかしら、と。確かにこの世界には奪う者と奪われる者が存在する。
今、向こうから声をかけてきた男は自分が奪う側の人間だと思っている。こんな小さな小娘から一体何が取れると言うのだか。
無駄よ。
そう思う。
誰が相手になったとて全て無駄なこと。搾取?
決まってるじゃない、あたしがするのよ。
コートのポケットにはだらしなくのびた連中の財布。といっても勿論中身だけ。
羽振りの良い相手に当たったのは不幸中の幸いとでも言うトコなのか。
そういえば比呂乃、いやぁな目で最近あたしを見てるわね。適当引き込んでおいた方が楽かしら。
ブランドものの並ぶショウウィンドウを横目にそんなことを考えた。つまんない手段だけれど。
どこかでパトカーの音がする。がしゃん、という古典的な破壊音で割れるガラス。いつもと変わらない夜の風景。
花屋の店先に明かりが点いていた。甘い香りがする。
少女は気怠い空気の中を歩き続ける。甲高い悲鳴が響いていた。
綺麗。
欲しいと思った。心底。
ケースに入れて飾って。側に何時も置いておくの。
花が良いわ。花と一緒に飾るのが良い。似合うもの。
あの月みたいに赤い、薔薇が良いわ。
誰にも屈しないと言うなら、あたしが手折ってあげる。
売れ残りの薔薇を片手に、ふわふわとした考えに浮かされる。素敵。
何時だったか顔も忘れた男がお前に似ていると、その花を寄越したことがあった。色は真紅。
なかなか珍しい事象だったから覚えている。普段ならば誰かからものを貰うなどということはあっさり記憶から消滅するのに。
薔薇の刺が。指に刺さって。 流れる血をあの時、じっと眺めていたのだ。多分、そのせいだろう。
蔦が絡みついて花を咲かせる。その根本に植わるのは彼女の肢体。
だって見てみたいじゃない。絶対綺麗だもの。
こんなことをごく普通に考える自分はどこか病気なのかも知れない。
けれどもその想像はこのところどんなものよりも彼女を楽しませてくれた。
茶色の艶やかな髪が翻る。すらりと伸びた手足。固く結ばれた唇。何よりもプライドの高さを表す意志の強い瞳。
まったくもって彼女は自分を咲かせるに相応しい養分。
少女は楽しくなってくすくすと笑いを零す。ああ、やっぱりあたし可笑しくなってるわ。
言葉は誰に聞かれることもなく夜に融けて。
かちり、かちり、かちり。
単調な秒針。カーテンを開ければ朝の世界が拡がる。
何時からこの部屋が彼女のものになったのか、そんな些細なことはもう忘れた。
ベッドサイドにミニテーブル。その上にはスマートな花瓶。散らばった花弁が赤い染みを作る。薔薇の花弁が。
それは血と同じ色。 花鋏を片手にバルコニーへ出る。小さな庭。
ぱちん。
新しく花を一輪。
「やっぱり思った通り」
綺麗だったわ。
ね、言った通りだったでしょう?
内緒話は薔薇の下で。ならば当然。 あの赤い花の下には、秘密が詰まっている。
きっと。
◆END◆
by Konoe Thank you! xxx
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